コラム 元気を出して みんなヒマワリ、太陽に伸びろ 2008.8.11スタート 別の道 人の行いや思想が自分の信じるものと違う時、 それは良いこと、悪いこと、正しい、間違っていると判断するのではなく、 それらを見せられて、自分はどう感じているのか? そして、自分は何を選ぶかだ 正しい、間違っていると判断することは、 自分は間違いたくない、正しくありたいと思う気持ちがある ならば自分をも判断している 判断ではなく選択しているという意識を持つことだ 自分が歩く道 他の人が歩く道 同じ道ではなくとも、どんな道であれ、歩いているのは皆、同じ愛への道 愛への道は100人いれば100通りの道がある 行きつく先は愛 必要なもの 生きていくのに必要なものはたいしてない 最小限の衣食住の確保 判り合う人との語らい それくらいだろう 雨風をしのげる屋根のある建物と体を温める毛布と一枚の服 そして生命を維持できる食料 水は川と雨水を飲めばいい 本当は生きていくのに必要なものはこのくらいだろう 人は豊かになりたいという 愛もお金も欲しいというが、 自分を愛して愛して愛していけば、心は豊かになっていく 満たされていく そして何も要らなくなっていく 地位も名声も権力も立場も、それらが欲しいのはそのままの自分では愛されないと思っているだけだ 必要なものと必要じゃないもの 人によって必要なものも、必要な量も違う 必要だと思うものが沢山あればある程、心も体も重いだろう 必要だと思っているから、それらがなくならないように神経を使う それらを得ようと神経をすり減らす 私達は常に人生という道を旅している ボストンバッグ3つ持って旅するのと、リュック一つ背負って旅するのとは、 旅の快適さが違う 歩みも軽やかだ 景色を見る余裕もある 旅先で出会った人との交流を楽しむことが出来る ゆっくり感じる時間もある しかし、沢山の荷物を持っていれば疲れてしまう なくならないように取られないようにといつも不安に駆られる それよりも貴方は笑顔をなくすだろう 旅自体を嫌いになるかもしれない リュック一つで生きていれば、必要なものは誰かが差し出してくれる いらない荷物は捨てて歩くことだ 必要なものはたいしてない ないと困るものはそう多くない 必要じゃないものを手放せば必要なことだけしか起こらなくなる 必要なものだけが自分の手元に残る 必要なことだけやってくる 必要な分は与えられるのだ 必要な分だけあればいい そう思って生きていれば、貴方はいつだって快適な人生を歩んでいける 出来る もしも貴方が魂として生きたいのなら、まずは自分を大切に扱いなさい 自分を正しく扱えないのに他者を正しく扱うことや、まして正しい目で物事を見ることは出来ない もしも、貴方が真実を知りたいのなら、まずは自分を知りなさい 何が真実か? それは私達は愛だということ以外に何があるだろうか? 泣いている暇があったら立ち上がって自分を愛し始めなさい 貴方以外に貴方をそこまで愛せる人は誰もいないのだから これからこの地球は変わっていく その過程では、今まで思ってもみなかったことが起こることもある 悲しみや苦しみを感じることも増えるだろう しかし、その痛みは貴方が変わるためのものだということを忘れないでほしい この世には「私たちは一つ」という法則からずれてしまっている考え方や価値観が沢山ある これからは自分の意志を試されることも増えるだろう 今までは誰かの意見に従っていれば良かったことや、 皆と同じ行動を取っていれば大丈夫だったことは崩れていく その時、何を頼りにするか? 自分の感じるものを信じていくことに他ならない 貴方が感じたもの、 貴方が何故かそう思う、というあいまいな感覚、 冷静に考えた時に、これが真実だと思うもの それが貴方の愛から発信された答えだ そこに間違いはない この世には人をコントロールし支配することで自分を保つ人々もいる その時に自分の依存心や犠牲心といった弱さが共鳴し合っていることに目を向けてほしい 優柔不断はやめることだ どこかに属していないと不安なら貴方の中の孤独感に目を向けなさい 出来ないのではなく、やろうとしないだけだ 出来ないのではなく、出来ることを知らないだけだ そんなこと誰も教えてくれなかったと言うなら、それは当然だ 誰も知らなかったのだから 誰もそんなふうに愛されてこなかったのだから 例え貴方の親であれ先生であれ政治家であれ 私達は条件付きの愛というシステムが最優先された世界に生まれ生きている だから自分が自分を無条件に愛していくことで変わる 一人一人が自分を無条件に愛した時、この世界は変わるだろう この世界を変えるとは自分を変えることをいうのだ それがこの地球に生まれた私達の仕事なのだ 人にかわいそうと思って手を差し伸べれば貴方は人に依存される そして、貴方の優しさが報われず仇になった時、 相手を憎むことや自分を否定することに多くの時間を費やすのではなく 貴方の中にある悲しみに目を向けなさい 貴方が人を見てかわいそうと映るのは貴方が貴方をかわいそうと思ってるのに他ならない 貴方の中の悲しみを消滅させれば貴方は誰を見てもかわいそうとは思わなくなる 貴方は他者と愛の部分でしか関われなくなる 貴方は他者を魂としてしか見れなくなる 私達は願っていたはずだ もう一度あの幸せだった古代のように生きることを 内側と外側が一致した豊かな時代を 互いが認め合い分かち合った時代を 私達は内側に自らが愛だという記憶を保持している それをこれから急速に思い出す時代に入っていく 私達には出来る 出来ないのではなく、やろうとしないだけだ 出来ないのではなく、出来ないと思い込んでいるだけだ 出来ないのではなく、貴方の内にある悲しみがそう思わせるだけだ 貴方には出来る 何故なら私達は愛だからだ 自分の美しさ 自分を癒すとは暗闇に自分で光を当てる作業だ 貴方の悲しみはどこにも持って行けない 誰にも譲ることも出来ない 貴方が抱きしめているその痛みは、貴方に理解してほしいと待っている 貴方だから受け止めれる痛み 貴方だから消滅させることの出来る痛み 貴方は自分が出来ることを忘れている 貴方は出来ないのではなく、出来ないと思い込んでいるだけだ 貴方は美しい 自分を尊びなさい 自分を敬いなさい 尊敬できる自分になれるまで愛し続けなさい 朝の来ない夜はない 抜けないトンネルもない 貴方が出ようと思うなら、出口に光を見出すだろう 平等 私達に上下はない 誰かより優れていることも劣っていることもない 人間だけではない、 人よりも動物が劣っていることや植物が劣っていることはあり得ない 私達は皆同じ仲間だ 社長より平社員が劣っていることはない 親よりも子供が劣っていることはない もしも、貴方が上下があるというなら、それは貴方が作りだした現実だ 貴方の中にある格差 ならば、貴方には上下が存在する 貴方が比べているなら貴方もまた比べられる事を許している 貴方が作った貴方の定義だからだ 貴方は比べられる 貴方が比べているから 貴方が比べなければ貴方は比べられない 何が本当なのか?と表面ではなく真実を見ることだ 貴方が比べなくとも比べたがる人たちも、また存在する その時、貴方は何が真実だと胸を張って言うのだろうか? そこが貴方の腕の見せ所というものだ 貴方は知っている 本当のことを 私達の間に上下はない 人は人種や環境を自ら選択して生まれてくる そこから学ぼうとするからだ 学べるからだ 今生で裕福な人は過去に貧困を経験する 過去に偉人だった人は、その反対も経験する 両者の立場から経験しないと、愛が何かが判らないからだ だから羨むこともない ひがむこともない 劣っていると嘆く必要もない ただ、貴方として生きるまでだ 自由意志 人には自由意志がある 自由に選ぶ権利がある 人の意志は宇宙にすら尊重されている もしも恐れの世界を愛し続けるなら、その自分の意志は尊重される もしも、愛の世界で生きるなら、それも尊重される 恐れとは何か? 貴方が怖がっているものだ なくなったら怖いと思っているものだ そして怖いがゆえに、恐れに支配されることを許してしまう それがどんなに現実レベルの恐れであっても、 恐れを直視すると必ずや恐れは消えていく これは経験した者でしか判らない 自分の内側にないものは外側(現実)に反映されない 内側にあるから外側に反映される 反映されるものに善悪はないから、恐れも愛も反映される 貴方は尊重されている 何を選ぼうと尊重される それは善悪ではないからだ それすらも貴方の意志は尊重されるからだ 目に見えようが見えまいが、沢山の存在たちが各個人を応援し導いている しかし最終的に尊重されるのは自分の意志だ 自分の意志そのものが一番最初の創造のエネルギーで、そこから物事は作りだされる、動き出す 自分に誠実に生きていくと、貴方は外部の声が気にならなくなる それは人や社会ではなく、貴方が基本となるからだ その時、貴方は揺れなくなる 貴方は貴方を信じているからだ その時、貴方は愛を知っている これこそ、真の愛の在り方だ 人は何万年も、愛と恐れの選択に迷って生きてきた どこかで愛だと判っていても現実を見て、また恐れの道を選ぶ そしてそれは連鎖し続け、今もそれは続いている 自分の本当に正しいと思う道を歩むことだ 何が真実なのか? 自分はどうなりたいのか? 愛を選んで生きるのか? 恐れを選んで生きるのか? 内側へ 貴方が人に愛されたいなら、自分を愛しなさい 貴方が人を愛したいなら、まずは自分を愛しなさい 貴方が人に優しくなりたいなら、自分に優しくなりなさい 貴方が人に理解してもらいたいなら、自分を理解しなさい 貴方が平和を望むなら、一番最初に自分の心を平和にしなさい 貴方が癒し人なら、なおさら自分を癒しなさい 自分の内側にないものは現実化できなということだ 貴方が人を憎いなら、人を憎い自分を認めなさい 貴方が人を許せないなら、人を許せない自分を許しなさい 人を許せないのは、実のところ人を許せない自分が許せないのだから 貴方は知っている、魂が美しいことを なのに美しくない行為をする自分が許せないんだよ だから自分は足りないと思う 足りないのではなく、出来ないのではなく やろうとしないだけだ 外側を変えようとしてはいけない 自分の内側を変えなさい 内側にないものは外側に顕われてこないからだ だから、とことん自分を愛しなさい 崩壊していく自分とはありがたいものだ 苦しみがあるということはありがたいことだ 苦しみは愛への道の登竜門だからだ 苦しみを嫌がってはいけない 愛を知るには孤独を愛しなさい 孤独を受け入れたら、貴方は自分が愛だと理解できる 気づく 悲しいなら泣きなさい 悔しいなら悔しいと言いなさい 寂しいなら寂しいと言いなさい そして悲しい自分に気づきなさい 悔しい自分に気づきなさい 寂しい自分に気づきなさい 人にはそれぞれ信じている神様がいる、 もしくは神を信じていないかもしれない それは実のところどちらでもいい 本当の自分になるとは別の誰かになるのではなく、まして神を崇拝することでもない 崇拝するのではなく神と友達になりなさい 崇拝するとは神を信じていない証拠だ 神に愛されたいと願い神を恐れている 神に気に入られたい証拠だ 貴方の価値は誰かに認められてやっと、「ここに生きてていいよ」と、 認定してもらうものではない 貴方が認めるのだ 神を信じるのではなく神を知っていると言えたら、 貴方はもう自分の人生を悔やんだりしない もう自分を疑うことはない 「信じる」とは「知っている」の前の段階だからだ 神を崇拝するよりも神に「私は私だ」、「私はこうする、こうなる」と言える自分になりなさい 本当の自分になるとは本来の光であった自分を思い出すことだ 今、地球に生きている人の多くの人は自分が愛だとは気づいてない 愛を思い出す作業はとても長い道のりだが、実のところ方法はとてもシンプルなものだ ただ自分に寄り添いなさい 受け止めなさい 許しなさい 気づきなさい 言いたいことを言いなさい 自分に起こる出来事にのまれるのではなく、 冷静に何が起こっているのかに気づきなさい そして、社会や人や育った環境の価値観で生きるのではなく、 自分のハートで感じるものを信じて生きなさい いつも目覚めて生きなさい するといつか貴方の「信じる」時代が終わり、 貴方は既に「知っている」状態になる 気づくとは「知る」ことだからだ 覚悟 自分の人生を振り返った時、自分独自の浮上するテーマが見えてくる 現実に自分の目の前に差し出された厄介事、そこから逃げたくなるような事、 何故、こんな事が起こるのか? 何故自分にはいつもこの問題がつきまとうのか? それこそが、自分がクリアすべきテーマである 現実を見れば自分が克服すべき課題が判る 他の人には起きないのに何故自分だけ?と嘆いていても仕方がない 何も変わらないからだ 過酷だが、それは自分に必要なもの それをテーマとして学ぶ為に自分が生まれ持ってきたもの それを持ったままでは進めないことを魂の自分は知っている そこから逃げてもそれは、自分の影のようにずっとぴったりとくっついてくる それは自分の影だから離れはしない その問題が提供しているものは何か? 克服する勇気を持ち、自ら課題に取りかかる意志、 そして、やってやろうじゃないか精神で付き進むといつしか影は消滅する 影は影でしかなかったと、影は自分の内面にあるものを映し出していたと判る 覚悟を決める 目をかっぴらいてテーマを見つめ取りかかれば怖くない そして以前とは違う決断をすることで影は消えていく 魂として生きる 目に映るものが真実を語っているとは限らない 自分にとって不幸に見える人が本当に不幸とは限らない かわいそうに見える人が本当にかわいそうとは限らない 哀れに思える人が本当に哀れとは限らない 裕福な人が本当に豊かとは限らない 自分より劣って見える人ほど魂は磨かれているものだ 目で見えるものだけを信じて生きるのか、自分の感じるものを信じて生きるのか それは自由だ 私達は果てしない旅を続けてきた 時に傷つき、時に挫折し、それは途方もなく長い旅 この先も行くも留まるも自由 誰も人を強制してはならない しかし、誰もが真実を知りたいから旅を続けてきた 愛とは何か? 愛するとはどういうことか? 自分とは誰なのか? 何者なのか? 何をしに生まれてきたのか? いったい、自分はここで何をしているのか? 疑問は尽きない 何故なら私たちは知りたいからだ 私とは誰なのか?を 自分が封印してきた秘密を知る時が来た 私は誰なのか? 何のためここにいるのか? その扉を開ける鍵は自分が持っている 鍵穴に鍵を差し込むのも自分だ 人類は長い間夢を見てきた 全ての人が幸せで豊かに共存できる社会を しかし、その夢はいつだって簡単に打ち破られてきた その夢を壊したのは私達一人一人の心に巣くう恐怖心と 出来る訳ないというあきらめ それでも、あきらめていない証拠に私達は何度も転生してきた 愛を知るために孤独を知り、 愛を知るために恐れを知り、 痛みを知るために傷つき、 そして、今まさに愛になろうとしている それは何故か? 希望を捨てていないからだ 私達が向かう方向は愛の他にないことを知っているからだ 100人中99人が正しいと言っていることが正しいとは限らない 何が幸せなのか? 人は自分を守るために必要なものは何もないと悟った時、旅を終える そして次の新たな旅へと向かう 更なる無限の自分を知るために 誠実 誠実という言葉を辞書でひくと、私利私欲をまじえず、 真心をもって人や物事に対することと書いてある ここで間違えてほしくないのが、 自分の気持ちを無視して人の気持ちを優先し誠実であろうとすることだ それは自分の本心ではない 主体は人ではなく自分自身 誠実とは自分に誠実であること 自分に誠実であれば自ずと人にも誠実に対処せざるおえない 誠実とは誠が実ると書く 自分に偽らず自分に嘘をつかず、自分に真心を持って対すると、 やがて本当のこと、本物が実るということ 宿命 宿命は生まれる前から定まっているもの、変えられないもの 運命は変えられるけど宿命は変えられない こう聞くと、宿命を重いものや嫌なものに感じたりするけど、 宿命は命が宿るって書く 素敵な言葉だ そこに命が宿ってる 変えれる運命と変わらない宿命 そしてその宿命にはとても大きな意味がある カルマと同じで、過去の生でやり残したことをするために、 自分がそこに命を宿したもの 自分が命を吹き込んだもの 過去の生で生きていた時に上手く出来なかったこと それが気がかりで一番気になっていたこと、 それをしないことにはおちおち天国にもいられない、 だからもう一度やってみよう そう思って生まれなおしてきた私達 それが宿命でありカルマ 皆、心の奥底に本気が入ってる よし、やってやるぞ、と生まれて来たんだから本気でないはずがない 本当は皆知っている 自分の強さを 自分の優しさを 自分の美しさを 自分の愛の大きさを 期待ではなく希望を持つ 期待するというのは、自分以外の誰かや物や状態が 自分を幸せにしてくれると望んでいる状態 期待が行き過ぎると執着になる 期待通りにならなかった時の落胆は大きい 期待通りにいかなかったのは、 それが自分に必要じゃないってこと または、今はそれじゃないってこと それとか、もっと大事なことに気づく必要があるってこと だから期待通りにいかないことに意味がある その時嘆き悲しむのではなく、 期待を捨て希望を持つこと 希望は自らそうなることを選んで望むこと、そうなろうとすること 期待と希望は似ているようで全く違う 期待と希望の根源を見ると、 期待は恐れ、希望は愛と言える 自分に必要なことは起こる 起こることは起こる 起こらないことは起こらない 期待をどこまでも捨て自分を信じて生きること 希望を持って後は委ねて生きよう 誰のものでもない 自分は誰かのものではない 相手も誰かのものでもない 土地も誰かのものでもない お金も誰かのものでもない 真理も誰かのものでもない 上手く活用すれば栄えていくものが、 これは私のもの ここからは私のものと 所有することで、自分で境界線を引いてしまう 人は失う恐れから愛もお金も貯め込もうとする なくなると思っているから取っておこうとする なくなるのが怖いから少しずつだけ出す 愛もお金も同じエネルギー それらをなくなるものだと認識していれば、なくなるものとして自分の人生に現れる それらは誰のものでもないし、なくならない、ある、と知れば、ある人生になる 未熟でいい 人は完璧じゃない 未熟だから生まれてきた 本当に完璧なら生まれてくる必要がない だから完璧じゃないといけない、と自分のお尻を叩くより、 このままの自分のまま成長していけばいい 未熟だから成長する 未熟だから知らないこと知りたくなる、経験したくなる 未熟は最高だ 人生は最高の冒険地帯 大切なのは、その時々の自分の選択 どう選択するかで未来は変わっていくから だからと言って、上手く選択できなかったらどうしようと怖がる必要はない 自分の心に従って生きれば、自ずと最善の選択をしているから 死ぬ時に、悔いを残さず死ねれば最高 「我が人生、感無量」と、笑って死ねたら最高 未練や悔いが残れば、もう一度やり直したい、クリアしたいと思って、 同じ経験が出来るように設定して再び生まれ戻ってこなくちゃいけない 完璧な人間として生きるのではなくて、 「感無量」と思って死ねる位、自分に誠実に生きて来れたなら、 それは完璧な人生だったと言えるだろう 本音と思い込み 人はこれが自分の真実だ、これが自分の本当の気持ちだと思って、 日々その思いに基づいて行動している でも、それは本当に自分が望んでいる形なのだろうか? 自分の本当の気持ちなのだろうか? と、疑ってほしい 自分がそれが真実、これが自分の本当の気持ちと思っているものは、 実はそう思い込んでいることがとても多い 〜しなければならない 〜こうあるべきだ この制限的な考えに基づいて行動していることが多い 本当は自分はこう思う、こうしたい、というのが本当の気持ちで、 こうしなければいけないと思っているのが思い込み 思い込みで動いていると、不調和が生まれる 本当はそれをしたくないのに、しないといけないと思って行動しているから 当然ながら不調和が生まれる 上手くいかなかったり、苦しさを感じたり 頭で考えていることと心で感じていることが一致していないから、 当然不調和が生まれる それはとても不自然な人間の姿だからだ 人は何故制限に基づいて行動するのか? 古代からずっと人は制限の中で生きてきた そして今、この時代の社会も、常に制限が基盤となって物事が動いている 女とはこういうものだ 母親とはこうあるべきだ 男とはこういうものだ 父親とはこうあるべきだ 生きていく為にはこうするべきだ・・・・ この制限のトリックに引っ掛かって、 自分の無限の可能性を小さくまとめないでほしい 思い込みは、思い込んでいるから気づきにくいことがあるけど、 思い込みと本音の違いの見分け方はただ一つ 自分はやりたいのか?やりたくないのか? したいのか?したくないのか? 行きたいのか?行きたくないのか? これだけだ 自分の気持ちを無視して動き続けると、 必要のない責任を背負ことになる 誰も望んでない責任 根本を辿ると、この制限的考えも、 「愛されたい」という思いから発信されている 愛されたい=愛されていない だから自分の気持は無視して人の為に動く こうしないといけない、という方程式に沿って行動してしまうのは、 こうすると愛される、という思いが根本にある こうすれば愛してもらえる=こうしないと愛してもらえない 制限に基づいた生き方をしているのは、 箱に入れられて生きているようなものだ 箱には枠がある、 どんなに自由になりたいと思って歩いていても、 四方どちらの方向にも壁があり必ずその壁に行きあたる 制限から無制限の世界へ行くには、 自分の本当の気持ちに気づき、その気持ちに沿って生きていくことだ 奉仕の精神 人を救いたいなら強くならないといけない 思いだけでは人を救えないからだ 海で溺れている人がいるとする 貴方は海に飛び込んで助けにいく 溺れる人はパニック状態で、無我夢中で貴方にしがみつく ものすごい力で貴方はしがみつかれて上手く泳げない そして二人とも溺れる 貴方は人を救うどころか自分さえも救えない 愛は大きくあたたかい でも、愛は弱いものではない 愛は強いものだ 人を救いたいという思いは私達は皆一つ、 ワンネス意識があるから思ってしまうのは当然のことだ でも、本当は人なんか誰も救えない 応援やサポートはできても、その人自身でしか自分を救えないから、 それに気がつかないと、いつまでも自己犠牲して、そこから抜けれなくなる いくら知識を学んでも技術を習得したとしても、 それを駆使する自分がいないとそれは生かされない 何故、人を救いたいのか、自分の奥底にある無価値観を手放し、 そこを超えた時、人をサポートできるようになる まずは本気で自分を救うことだ 好きなこと 人は好きなことをして生きるのが一番いい 一番自分らしい 小さい頃は親の保護の元で生きているから自由でいられる 何かに夢中になったり、洋服が汚れることなんて構わないで遊んだり、 親に怒られても自分のほしいものを手に入れるため泣きわめいたり でも、大人になると自分で生計を立てたり家族の面倒を見たり、 楽しいだけでは生きていけないことを知る 自分の都合のいいようには生きれないと知る そうやって、いつまでも子供ではいられないんだということを知らされる 我慢することを学ぶ それが大人なんだと知る 大人になり慌ただしい毎日、時間に追われる生活をしていると、 何のために生きているのか判らなくなる 家と職場の往復が毎日の生活 休みの日は疲れすぎて遊びにも行きたくなかったり、 唯一の楽しみがショッピングや食事、愚痴を言って発散したり・・・ こんな生き方はおかしい もっと自由でいいはず 何のために生きているのか? 何のために生まれてきたのか? 人は自分の好きなことをして生きるのが一番いい 人はそうすることで輝くように作られている 自分がそれをすることで嬉しかったり、ワクワクしたり楽しかったり、 もっと自由でのんびりしていてゆとりのある、 そんな自分の好きなことをして生きていく唯一の方法がある それは自分の直感に従って生きること 自分が感じる感覚とハートを信じて動いていくと、 必ず自由で自分らしい道を歩き始める 信頼 人が人を信頼する それはとても簡単なこと ちゃんと目を合わせて話すこと 誠実に率直に自分の思っていること、感じていることを話すこと こう思うんだ こう感じるんだ、って 自分が上だとか下だとか、そんなのは全部いらない 相手がどう思っているとか相手の状況を気にしすぎると、 言いたいことを自分の心に引っ込めてしまう 立場も状況も関係も関係ない 友達でも上司でも家族でもそう 話すことで状況は変わるかもしれない、 何かしら新しい展開があるかもしれない、 関係が変わるかもしれない、 相手の本当の気持ちが判るかもしれない、 そこから信頼は生まれる だから心に言いたいことを引っ込めないで伝えてみる 目を合わせて素直に話してみる 相手が、態度を変えないから私も態度を変えないって考え方はもったいない もしかしてそう思ったのは些細な誤解から始まったかもしれない 相手が心を開こうとしないのに、なぜ私からしなくちゃいけないの?って思うなら、 したくないならしなくていいの でも、もしも気になっているなら、 どうせ無理だ、なんて決めこまないで、 ちょっとだけ勇気をもって自分の気持ちを伝えてみる そうしたらスッキリするし、 相手と判り合えた時、本当は仲良くなりたかったんだな、って 嬉しい自分に気づくから だから目と目を合わせて話してみる 素直な気持ちを伝えてみる 在る 太陽があって月がある 昼があって夜がある 空があって大地がある 山があって海がある 嬉しいがあって悲しいがある 男がいて女がいる 子供がいて老人がいる 生があって死がある 在る 在るものは在る 存在している 自分がいて人がいる 平和があって戦争がある 暑いがあって寒いがある 在るものは在る だから一方を排除したり視界に入れないようにしたりしないで存在を認める 存在を受け入れた上で、自分は何を選ぶかどう選ぶか、どう認識するかだ 右があって左がある 上があって下がある 闇があって光がある 頭があって心がある 愛があって恐れがある 愛する喜びがあって愛される喜びがある 与えるものがあって受け取るものがある 期待があって不安がある 在るものは在る 本当は二つともコインの表と裏のようなもの 本当は二つででワンセットになっている だから自分の中でどうバランスを取って生きるかだよ 後悔 そもそも失敗なんてなくて、それは一つの経験 失敗するから、次はこうしてみようと違う道が見えてくる 長い歴史から見れば、今、私達が生きているのはほんの一瞬だもの だから上手く出来なかったことを失敗したと思い悩むのは時間がもったいない 後悔っていうのは自分が成長したからこそ思えるもの 今の自分は過去の自分より成長しているから 過去の自分では思いつかなかった方法が成長した今の自分だと思いつく あの時ああすれば良かったとか、もっとこうすれば上手くできたはずって でも、その時その瞬間 そう決断したのは、 そう行動したのは、 その言葉が口から出たのは、 それ以外には思い浮かばなかったから どうやってもそれしか出来なかったから そうすることしか出来なかったから だから完璧だったってこと その時その瞬間、完璧な決断、完璧な行動をしてたってことなの どんな大きなことも小さなこともね 過去を忘れたつもりでも、何かの拍子にその時の記憶がよみがえり思い悩むのは、 その時の思いや未練が自分の中に残っているだけ それなら、ちゃんとその時の自分の気持ちを感じ切ってあげれば、 もうその過去の記憶に苦しめられることはなくなる 宇宙という大きな視点から言えば、 全ての経験や自分が感じる思いすらも全部計画通りに進んでいるってことなの だって、そうやって人は成長するから だから大丈夫 全て上手くいっている コップの中 人は何か問題が起こると、その問題を何とかしようと躍起になる そして周りが見えなくなる 視野が狭くなる だからこそ目の前の木を見るのではなく森を見てほしい 全体を見ると何が起きているのかが判るから 今、自分は人生のどの場面に差し掛かっているのだろうか? そう冷静に見渡すと物事が見えてくる 理解できると安心してその問題に取りかかることが出来る 目の前にコップがある それを風景として眺めているのではなく、 コップを自分の手でとってじっと見る そして、コップの中に入っているものをよく見る すると今、自分に起きていることが何か判る 判るにはよくよくコップの中を覗きこめばいい いつだって内側である自分の意識が現実を創造している だから自分の意識が変わると外側の現実も変わる 自分好みの現実も気に入らない現実も自分が創造しているから だから冷静になってコップの中を覗きこめばいい 今、何が起きているんだろう? 何に気づけと言われているんだろうか? 怖がることはない ちゃんと見ないから何が入っているのか怖くなるだけ ちゃんと見ないから恐ろしいものが入っているんじゃないかと怖くなるだけ ちゃんと手にとって中を見れば対処できないものなんて一つもない 信念と真実 一度決めたことは貫き通す それは格好良いけど、時としてそれが当てはまらないこともある 貫こうとすることで苦しくなることもある こうなったらいいなって思ってても、ある日突然気持ちが変わるかもしれない きっとこうなるに違いないと思ってても、ある日そうじゃなかったんだと気づくかもしれない 今まで赤が好きだったのに明日は青を好きになるかもしれない 今、自分が思っている気持ちから、次にどんな気持ちが 生まれるかなんて予測できないことはいっぱいある それは気まぐれなんかじゃなくて本心 優柔不断じゃなくて心が柔軟だってこと 自分に誠実だってこと だからいつだって心は自由でいい 人生はあり得ないことが沢山起こる 起こるのが当たり前 だからなんにも『私はこうだ』と決めつけることはない 信念は自分が正しいと信じていること 真実は嘘偽りがない本当のこと 信念が真実に変わる時はいつだって気づきがあって自分の中に腑に落ちる 閃くように、稲妻のように『ああ、そうか』って気づく そうしたら、そのことに対して、 もうそれが本当なのかどうか疑うことも心が揺れることもなくなる だから真実がやってくるまでは決めこまないで柔軟であればいい 癒し 自分を癒すってはっきり言ってものすごくハード 応援してくれる人たちや見守ってくれる人たちがそばにいても、 自分の闇に光を当てる作業は自分自身でしか行えないから 自分に何か出来事が起きて苦しくなって、 そこから出たくて人は初めて自分を癒し始める、自分と向き合い始める そして、楽になりたくて癒し始めたのに待っているのは いつまで続くか判らない癒しのプロセス それは、私達は完全なる無条件の愛を知らないから 生まれる前は何でも判る純粋な光の存在だったとしても、 オギャーと生まれたその瞬間から光だったことなんて忘れてるし、 この制限ばかりの現実社会に放り込まれる だから、そのままの貴方でいいよと言われたってそう上手くは出来ない 今まで何十年も生きてきた間に積み重なった思い癖や 制限を外していくには、それ相応の時間がいるし、 条件付きの愛の元で生きてきた私達は、そのやり方に慣れているから、 無条件に自分を愛することはとても難しいことなの それは、無条件の愛がどういうものかを知らないから 無条件の愛を経験したことがないのに、絶対そうだという祈りとも言える 信念だけを頼りにつき進まないといけなかったり、 人から与えられていないものを自分に与えていかなくてはいけないし、 今までとは違う自分との付き合い方をしていかないといけない だから自分を癒すことって、 オブラートで包んだような優しいものではなく過酷だったりするの でもね、苦しいと感じさせる出来事を人は災難とか不運とか呼ぶけど、 それを引き起こしているのは自分なの 自分が気づけるように、それに見合った環境とキャストをセッティングして、 シナリオも自分で書いて、監督もやって自分も舞台に立って自作自演しているの そこまでして、気づかせようとしているの 何故って、向き合った者だけが到達できる場所があるから それが苦しみのない愛の世界なんだよ 幸せになる 私達には幸せになる権利がある でも、権利というより義務がある 幸せになりたいと言いつつ、 幸せになるのが怖い自分もいたりする だから、幸せになるには勇気がいる 私達は誰でも幸せになれる 幸せになれるのに、人より幸せになったら悪いとか申し訳ないとか、 なれる訳ないとか、幸せは一握りの人の元にやってくるものだとか、 皆、頑張っているから私も頑張らないといけないと思っていたり、 幸せは苦労して手に入れるものだとか、 幸せを簡単に手に入れると後でしっぺ返しがあるに決まってるとか、 後で痛い目にあうから、そこそこの幸せでいいと思っていたり、 苦労するのは美とか、楽して幸せになるのはいけないこととか、 これがあれば幸せ、これがないから幸せになれないとか、 色んな思い込みが入っている 幸せになりたいと言いつつ、 自分で幸せになってはいけないと自分で制限をかけている もっと自由になりたい自分がいる もっと可能性を追求したい自分がいる もっと楽しみたい自分がいる 経験したことのない自分を体験したい自分がいる それなら、自分に幸せになる許可を出してね 貴方が許可を出さないとなれないから 私達は苦しむために生まれてきたんじゃないもの 楽しむために生まれて来たんだから 私達には幸せになる義務があるの 勇気を出して幸せになってみよう ネガティブ 生きてれば気持ちが落ちることってあるよね あー、ってため息が出てドヨーンとしちゃう でも、そこで私って駄目なんだ、運がないんだ、なんて自分を判断しないでね ネガティブになる時って、恐れという妄想の世界に目がいってるから起こるの 恐れの隣には必ず愛がある ネガティブの隣には必ずポジティブの領域があるの だからちょっと自分の視線を横にずらすと、 ネガティブな考えにとらわれていただけだって判る 友達と話していたら、ああ、そういう考えもあるんだって、 その瞬間、気持ちが変わることってあるでしょう? それと同じ だから自分の視線をちょっと横にずらしてね あとは、自分の好きな事をしたり思いっきり楽しんで笑う それか思いっきり楽しい想像をするの こうなったらいいなってあり得ないくらい笑っちゃうくらいに想像するの するとね、さっきまでのネガティブな気持ちがなくなっていて、 あれ?やっぱり恐れは妄想なんだって判るよ でもね、時々 どんなに視線をずらしても、自分を元気づけても落ちたままの時っていうのがあるの そんな時は、ネガティブな自分はいけないって無理やり自分を盛りたてようとしないでね ポジティブ、ポジティブ、エイエイ、オー!って、これは逆効果なの 自分の気持ちがそうじゃないもの 気分がそうじゃないんだもの そんなことしたら余計苦しくなって余計ひずみが出来ちゃう こんな時は自分が苦しいってことを認めてね どよーんとしてる自分は悪くないの 苦しい状態を嫌がると、余計苦しさって倍増するから 人に自分を否定されたら悲しいでしょう? 否定されたら、相手を無視したり批判したり、いじわるしたい気持ちになったことはない? 何でいじわるしたくなるかって判ってもらえなかった事が悲しいからなの それと同じように、『苦しい』を否定して、なかった事にしようとしたり無視したら、 『苦しい』は判ってほしくて、自分に気づいてくれるまでしつこくつきまとうし、 これでも判ってくれないなら、もっと判るようにしてやるーって『苦しさ倍増計画』に乗り出すの ドヨーン状態や苦しい状態からすぐには元気になれないかもしれない でも、ちゃんと苦しい状態からいつかは抜ける事になってるから安心して、 『今、苦しいんだな』 『苦しくていいよ』 『ああ、苦しい』 『苦しいね』 『本当、苦しいわ』 こんなふうに嫌がらないで『苦しい』を感じながら『苦しい』と一緒にいる 『苦しい』を受け入れると『苦しい』は安心して、いつかいなくなっていくから 『苦しい』の気が済むまで一緒にいてあげて やめよう 隣に座っている人に笑う時、どんな気持ちで笑ってる? 楽しいならいい、嬉しいならいい、何にも思わないならそれでいい でも、無理して笑っている自分に気づいたらやめよう 人に何か貰って、私も何かお返ししなくちゃって思ったら、ちょっと待って 貰ったままだと悪いからって思うならもうやめよう 自分も何かをあげたいと思うのは自分がそうしたくて気持ちよく出来ることだから、 そうじゃないならもうやめよう 自分の本当の気持ちを無視して、人を喜ばせようとすると、 相手に喜ばれなかった時ものすごく腹が立っちゃうの 何なのよ、せっかく優しくしてあげたのにーって 腹が立ったあと今度は怒ったことに罪悪感を感じて自分を責めるの ごめんなさい、私が悪かったの、もうしないから、 もっと優しい人になろう、もっと頑張ろうって そして、また無理に笑うの 無理してお返ししようとする で、最後は自分に対してもの凄く腹が立つの それはとんでもなく大きな怒り 何でこうなのよー? 大っきらい!って 誰だって、皆仲良くしたい だから自分を犠牲にして人の為に、って動いちゃう でも、人の為って漢字で書くと偽りになる 本当は誰も嬉しくない 気持ち良くない 本当は相手にも伝わっってる このサイクルから抜けるには、疲れてる自分に気づくこと 本当は自分がどう思っているか、どう感じているのかに気づける自分になることなの そして、やめる勇気を持つこと そしてやめてみる じゃないと、自分のこと嫌いになるし本当に疲れるから だからやめよう そのままの貴方で受け入れられるもの 愛されるもの 私はここだよ 目を閉じて何も考えないで胸に手を当ててみて 胸に感じる、伝わってくる自分の手のぬくもりを感じてね ただ感じてね 温かいでしょう? 「私はここにいるよ」 胸の奥に本当の貴方がいる 貴方に気づていほしくて、ずっとそこで待っていた本当の貴方がいる 何も考えないでただ感じてね 理由なんていらない、ただ感じて 自分に「愛してるよ」そう言ってあげて 涙があふれてきたら、 それは内側の貴方と外側の貴方が分かり合えた瞬間、認めた瞬間 胸の奥でずっと貴方に気付いてほしくて待ってたんだよ 涙っていう字はさんずいに戻るって書くでしょう? いっぱい泣いたら元の自分に戻るんだよ 涙は素敵な贈り物 貴方だから判る貴方の気持ち 一番自分の気持ちを判ってほしいのは誰でもない、自分自身 だから自分を助けてね 自分を救ってあげてね 貴方しか救えないの 貴方だから救えるんだよ 全て上手くいってる こうしたいと思って、じゃーそのためにこうしようって動いたら、 後は天に任せる、宇宙に委ねる なるようになるから こうなったらどうしようって頭使って、不安をかき消そうと、 あの手この手で防御すると途端にそこに不調和が生まれる スムーズに流れなくなる だから決断して動いたら後は天に任せて、宇宙に委ねて そうしたらなるようになるから 必要な人や物はちゃんと引き寄せられてくる 本当に困ることは起きないんだよ 全て上手くいってるんだから これが宇宙の法則なの だから委ねるのが一番 そこに抵抗しない自分がいるから 全てが調和するの、全てと調和するの 全てが完璧だって判るよ 自分でいよう 人は、元々持っている、自分の素晴らしさをすっかり忘れてる 自分が何をしている時が嬉しくて、楽しいのかさえ判らなくなったり 人や社会の価値観に自分を当てはめようとするから、自分が判らなくなっていく 喜ばれようとしたり、必要とされようとしたり、 ・・・・られようとしている自分に気づかなかったり 自分ってどんな人間? そんなことは周りの人が決めればいいから、 どんな人間にもなる必要がない ここに面倒見のいい人が10人いて、 その中に自分が入ったと想像してみて 常に10人がガヤガヤ うるさそう、ほっといて、かまうな、そんな気持ちになる ここに自由で一人でいるのが好きな人が10人いるとする 誰も口をきこうとしない、皆別なところを見ている 静かだ、接点がない、ずっとは飽きそう、退屈になりそう・・・・ 同じだとつまらない 飽きるもの だって、私たちはロボットじゃないから 皆、そつなく完璧になろうとするけど、その完璧度は誰が作ったの? もともと完璧なのに 出来ないことを恥じることはおかしなこと 出来ないことを、出来ないと言えば、ちゃんと面倒見のよい人がやってきて、 嬉しそうな顔をしながら助けてくれるよ だって、その人は面倒みるのが大好きだから だから申し訳ないと思わないで「ありがとう」って笑えばいい そのままの自分でいればいい 一つの体験も10人いれば皆違った感じ方をする、違った感想がある それでいい 世話好きな人がいて、手間のかかる人がいる、 そこにコミュニケーションが生まれる 笑うのが好きな人は笑っていればいい、 そしたら見ている周りも元気になる、幸せな気持ちになる 赤い服を好きな人がいて青い服を好きな人がいる どっちがいいわけでもない どっちも素敵 そこに違いがあるから相手に興味がわく そこにコミュニケーションが生まれる 皆違うから楽しくて新鮮なんだよ 違いがあるから、 自分と同じ考え方をしない人がいるから、 新しいものを生み出すことが出来る だからそのままでいればいい 自分の好きなことをすればいい そのまんまでいれば、物事はスムーズにいくもの スローライフ 急がないでゆっくり生きよう ゆったりすると自分が判ってくるから ゆっくり笑って、ゆっくり怒って、ゆっくり歩く ゆっくり興奮して、ゆっくり眺めて、ゆっくり触る ゆっくり喋って、ゆっくり感じて、ゆっくり考える ゆっくり眠って、ゆっくり噛みしめて、ゆっくり味わう そんなんでいいんだよ 人との繋がり 家やビルがあってそこには必ず人がいる 人がいなければ、ただの箱 そこには何も生まれない 皆何か仕事をしている それは会社の仕事だったり、バイトだったりパートだったり、 主婦として家事をこなすことや子育てだったり、学校で勉強することだったり 人それぞれ色々違うけど、でも皆何か仕事をしている 骨折して入院している人も、病院の廊下で、ベッドの上で、 何か仕事をしているんだと思う 今、引きこもっている人も、仕事をしているんだと思う 自分の答えを探すという仕事 何故、人は仕事をするんだろう? 生きてくためやほしいものを買うために お金を稼ぎたいからというのもそうだけど、 本当は、人が集うところで人と触れることで 自分というものを知り愛を知り、皆と繋がることなんだと思う 人と繋がることは喜びだ 仕事は愛を知る道具なんだ 仕事は人と繋がる道具なんだ 仕事を通して自分を知り、人を知り、そこから新たな何かが生まれるから 良いこと悪いこと これは良いこと、これは悪いこと 気がつくとこれは良いこと、これは悪いことで何でも判断してる だから、してはいけなんだって思い込む そうすることが良いことなんだって思い込む こうあるべきだ、って思ってるから、 こうしなくちゃいけないんだって、どんどん自分を溝にはめていく そこはとても窮屈な世界 誰にでも自分の思いがある、意見がある 誰にでも独自の感性がある、感覚がある それは良いこと悪いことでは片付かない 良いこと悪いことの小さな枠に自分を押し込めるのはおかしなこと つぶれちゃうよ、自分の素晴らしさが もっと自由であっていい 学校に行くのが良いこと?行かないのは悪いこと? 何で? どうして? テストの点数が高いのは良いこと?低いのは悪いこと? 何で? どうして? 興味がないだけだよね 皆、自分の好きなものには、無理に覚えようとしなくたって詳しくなる それは勉強も好きな人のこともそう それは好きだから、知りたいから 上手く出来るのは良いこと?出来ないのは悪いこと? 優しい人は良い人?優しくない人は悪い人? 家事をこなすのが上手いのは良いこと?悪いこと? 良いこと、悪いことに洗脳されると、自分の可能性が小さくなっちゃうよ 良い人にならなくたっていいし、悪い人になってはいけないって思う必要もない そのままでいい 自分の良いこと悪いことって思ってる制限を外して自由に生きよう どこまでも自由に 生きてるよ 生きてるって素晴らしい この目で色んなものを見てる 音が聞こえてくる 冷たいとか温かいって感じてる 物に触ると硬いのか柔らかいのかが判る 触れて感じて確かめてる 感じるのって素敵 生きてるから感じるんだ なんて素敵なんだろう、生きてるって 触れるものすべてが友達 太陽も風も大地も 動物も水も鳥も虫も花も 貴方も みんな友達 経験 あのね、人は皆経験したいんだよ だから皆嬉しいことも苦しいことも 自分が引き寄せて経験しているの 本当はね、自分が自分を試しているの 自分がそれを望んでいるの 自分がその経験をセレクトして自分に体験させているの 何故って、知りたいから もっと色んなこと知りたがっているから 私たちは好奇心旺盛な魂たちなの 本当の愛って何だろう?って 愛を知りたがってるの 夢を叶える 誰でも皆自分の夢を叶えることが出来るんだよ それはどこまでも自分を信じることなの 大きな夢ほどすぐ叶わなかったりするから、 思うようにいかなくて、もうやめようって何度も思ったり、 どうして上手くいかないんだろうって泣いたり、 それでも、夢をあきらめずに進むと必ず、夢を叶えることができるの 最初から何でも上手くいく人なんていない 信じて信じて不安になって泣いて、もうやめたいって思って、 でも、やめれない自分がいて、それじゃーどうする?って自分に聞いた時、 泣きながら、やる、信じるって思い直す そして、ちょっと嬉しいことが起きて、また信じて、また思うように進まなくて この繰り返しなの 結構しんどい でもね、すごく思うんだ この上手くいかない時間がすごく大切なの この時間に信じる心を養ってて、必要な勉強をしているから 私はこうなりたいんだって最初に思った時に、 もう夢の現実化は始まってるんだよ だから自分を信じてね 出来る自分を信じてね 信じる自分を信じてね 罪悪感 罪悪感ってどこから来るの? 罪悪感って、相手を傷つけたから、ごめんね、ごめんねって思う ごめんね、ごめんね、私が悪いの、 相手を傷つけちゃったから、そんなことするのは悪い子だから 許せなくて自分に罰を与えるの だから、絶対幸せになっちゃいけないって自分で罰を与えるの 罪悪感って何? 〇があって、その〇は私達で、その中にあるいっぱいの点々が私達一人一人 その〇をもっと近くに寄って見てみると、その点々で〇が出来てる 〇に見えてたのは点々がいっぱいあるから、 その点々がいっぱいあるから〇に見えてる 〇はもっと大きな〇になりたくて、点々が皆それぞれ色んなこと経験してる 経験して皆で、こんなこと経験したよ、こんなこと知ったよって共有し合ってる 皆楽しそうなのに、 でも何故罪悪感を感じるの? 罪悪感はどこから来るの? 皆繋がってて、一つの〇 皆で一つの〇 〇が大きくなるのは点々の数が増えるんじゃなくて、 点々一つ一つが大きくなることなんだ 〇が美しいことを点々は知ってるんだ 協力して〇をもっと大きくしようと約束してたこと覚えてるんだ 〇も点々もものすごく純粋だから、 相手を傷つけたり破壊することがどれほど恐ろしいことか 〇も点々も自分だから判ってるんだ どんなに怖いことか感じちゃうんだ あんなに綺麗な〇だから、傷つけた自分が許せない 同じ点々だと判っている相手を壊した自分が許せない 自分と同じ点々を傷つけたことが許せないんだ 大きくしようとしてた〇の端っこを自分が欠けさせてしまったと思うから、 我慢できないんだね だから傷つけてごめんなさいって思うんだね 上手く出来なくてごめんなさいって思うんだね 上手く出来なかったことが耐えられないほど悲しいから、 あまりの悲しさで自分を傷つけちゃうんだね 上手くやりたかったんだね だから皆完璧になりたがるんだ だから、このままの自分ではだめ、足りないんだって思ってたんだね なんて人は優しいんだろう なんて人は美しんだろう 友達 友達っていいね 何でも話し合って、慰め合って 助け合って、勇気づけ合って 怒り合って、一緒に悲しみ合って、喜び合って 「合う」って一人じゃ出来ないもの だから友達っていい 大好き ぶつかってみよう 心開いてみよう 気持ち伝えてみよう それが友達を作るんだよ だから友達っていい 大好き 恐れ 恐れって何? 皆、何かを恐れている 何で? なったら嫌だから 何が嫌なの? ・・・・ いつも恐れはどうしようって不安な気持ちや、 怖いよーの泣きたい気持ちを連れてくる 恐れって何? 皆何を恐れているんだろう? 怖がっているんだろう? こうなりたくないって怖がり なったらどうしようって不安にさせる恐れっって何? 恐れって実体がないから空想の世界のお話しなのに、 皆なったらどうしようって怖がっている なったらいけないものと思いこんでいるもの、それが恐れの正体 なりたくないもの なりたくないもの なったと想像したら一人で立っていられないもの 独りぼっち これが恐れの正体なんだ 面白いんだよ 不安って、恐れないといけないと思いこんでるから 一生懸命不安がっている時もあるの 楽観しすぎてたら良くないんじゃないか? そんな上手くはいかないだろうって思うから 一生懸命自分が怖いものを想像して自分を怖がらせていることもあるの そのままでいいのにね 苦しい 苦しいって嫌だよね そう、嫌だよね だけど苦しいは悪いことじゃないんだよ 苦しいから変わりたいって思えるもの 苦しみってずっとは続かないんだよ 苦しいは罪とか罰とか苦しむためにあるんじゃなくて、 苦しいからこそ、私はこうなりたいんだって思うでしょう? 光に目を向けさせるために起きるんだよ なりたい自分の姿は夢でもなんでもなくて、そこにいけるからこそ 信じ続けることの大切さを教えてくれてるの だから苦しいってことを嫌がらないで、私はこうなりたいんだって 希望を持ったままちゃんと感じてあげると ある日、貴方はなりたい自分になっているんだよ 格好いい 自分の格好悪いと思ってるとこを 隠すんじゃなくて見せていこうと思った時、 人生ってコロコロうまく流れていくんだよ 判らないことを判ったふりしたり、判ろうと必死に勉強するより、 判らなくていいんだと気づいたら、貴方の良さが輝きはじめる 格好悪いのが格好悪いんじゃなくて、格好つけるのが格好悪いこと 格好悪くていいんだって思えるのが格好良いんだよ もしも貴方が神様なら 空の上から神様が貴方を見ている 毎日悩んだり考えたり、行動したり失敗したり それでも前向きな貴方を神様はずっと見てる 時々、貴方が横道にそれてしまう時も、 そっちじゃないよ、こっちだよって手を振って気づかせようとしている 時々、貴方が不安におしつぶされそうになる時、 貴方は気づいてないかもしれないけど 神様は大慌てで貴方のもとにいき貴方を抱きしめてる 大丈夫だよって 時々、貴方が大事なものを発見した時、神様も大喜びしている 貴方が悲しいと神様も悲しんでる 貴方が嬉しいと神様も喜んでいる 貴方と神様は一心同体だから もしも貴方が神様で 空の上から貴方を見ていると想像してみて なんていい子なんだって応援したくなる? いとしくて抱きしめたくなる? よく頑張ったねってご褒美あげたくなる? もしも貴方が神様で空の上から貴方を見ていて ご褒美をあげたくなるくらい自分の頑張りを認めることが出来たら それは近い将来大きなギフトが貴方のもとにやってくる証しだよ 迷った時は 迷った時は自分に聞いてみて どうしたいの?って 今どうしたいと思ってる? それで出たものが答えだよ そしてまた、迷ったら聞いてみて 今どうしたい? その一つ一つが未来を作るんだよ 自信って自分を信じることなんだって だから今どうしたい? そうやって一つ一つ答えを出して動いていったら いつのまにか自分を信じれるようになってるんだよ 悩むのは自然なこと 怖いのは自然なこと 今どうしたい? これだけだよ 貴方は貴方 人の反応を気にすることはないんだよ それはね、その人が貴方の中に自分を見ているから 私が離婚した時 うらやましがる人がいた よろこぶ人がいた かわいそがる人がいた 口をつぐむ人がいた みんな反応がちがう みんな私を見て自分を見てた だから気にすることはないんだよ 貴方は貴方だもの 何も変わらない 泣いていいよ 悲しい時は泣いていいんだよ 我慢しないでね 泣きたい貴方がいるでしょ? わからなくなったら感じてみて ハートのところがサワサワしてない? クルクルしてない? 何かで握りしめているようにウーってなってない? そうしたらね、どうしたの?って聞いてあげて 悲しいの? 悲しいね うん 辛かったね うん 頑張ってたんだね そう 泣いていいよ うん もう頑張るのやめた 何に? 自分の気持ちに反抗することに 自分に嘘つくのやめた 何で? 疲れるから そうだよね 怒るって素敵 怒ることって素敵 時には人とぶつかることも大事 そこから新しいものが生まれるから 絆だったり、絆だったり、絆だったり・・・ でも あんまり人にぶつけないでね 感情って自分自身じゃないから 感情は自分で感じてあげれば手放れていく 短気な人は怒りの感情を出すのがいけないと思って、 持ち歩いているから、すぐ怒っちゃうの 悲しみを怒りで表現しているの 怒りでコミュニケーションしているの だから短気な人って本当はいないんだよ 嬉しい楽しいと同じように悲しい腹立つ淋しいも 同じ感情だからえこひいきしないでね 怒ることは素敵なこと 怒ることを自分に許して、いっぱいバカヤローって言ったらスッキリする 怒ることを許せた自分が好きになる 怒りの下にあった涙があふれてくる そうやって一つずつ前に進むと、 いつの間にか人の目も怖くなくなって ああ、私は私でいていいんだって思えるよ これが私なんだって思えるよ だからいっぱい怒りを出してみて HOME |
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